まつなしのウカツにさらせないブログ

ウカツにさらせないごく普通の日常。

天気を話題にする時の追い込まれた感

 

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”ほぼ” 初対面の人との会話中の沈黙が喫緊の課題である。”ほぼ” がポイント。初対面であれば、その人の生い立ちなどを聞いていけば、沈黙が訪れることはない。問題は2回目。ある程度相手の基礎情報を把握してしまっている。今日は一体何を話せばいい。”どうも、こないだはありがとうございました” などと、こなれた感じでのたまっているが、内心ドキドキしている。

それでもある程度は話せる。一応ぼくもオトナである。
恐ろしいのは、”あ、喋ることなくなってきた” 状態が訪れてからだ。プロレスラーがジリジリとロープ際に追い込まれていくイメージが頭をよぎる。

苦し紛れのチョップを打たねば。そう考えるぼくの頭に浮かぶトークテーマは、”今日の天気” 。あの分厚い胸板にはあまりにも非力なチョップ。

天気の話題は便利ではある。”晴れてますねえ” ”雨ですねえ” で何となく間を埋められる。そのあとに天気予報で見た気温やら降水確率やら今後の予報やらを挙げ連ねていけば、それっぽい会話にはなる。ただ本当にそれでいいのか。もっとお互いを理解できる会話があるのではないか。自分と相手が気象関係の仕事をしているのであれば、それもよいだろう。だがあいにく僕は、”セイコウトウテイノフユガタノキアツハイチ” の語呂が気に入りすぎて、狂ったように早口言葉で唱える程度の人間である。

さらに言うと、天気の話題ではそれ以上の会話の拡がりが見えない。せいぜい ”出身地域の天気はどんな感じなんですか?” くらい。その人が奇跡的にマダガスカルの出身とかであれば、湯水のごとく質問が浮かんでくるだろうが、たいていみんな国内の出身。私はそんなグローバルたくましい環境で育ってはいない。マダガスカル出身の人が身近にいる人間であれば、そもそも ”話題がない” なんてことで悩まないだろう。その場でおもむろに立ち上がり一緒に踊る。一緒に踊ればみんな家族。来世はそんなおおらかな人生がいい。

よくよく考えると、天気の話題は ”もうあなたとは話題がありませんよ” と宣言しているのと変わらないのではないか。相手がそれに気付いてしまった時の気まずさをどうしてくれようものか。そこまで考えてしまうと、もう逃げ場がなくなってしまう。打開策は見えない。八方塞がり四面楚歌。プロレスで言うところの、常にロープを背にしている状態。そうやって悶々としていると、セコンドからタオルが投げ込まれるかのごとく、 ”今日は雨らしいですよ” と勝手に口が動いてしまった。雨が降る前に、私の冷や汗が止まらない。
今日も負けた。セコンドが悲しそうにこちらを見ている。

次はマダガスカルの選手と戦いたい。一緒に踊りたい。